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2021110() ショットメッセージ

讃美歌21 522番「キリストには変えられません」

聖書個所:コヘレトの言葉11∼18

「神中心の人生を歩むことは何か」

2021年度1月から、「神中心の人生を歩むことは何か」について、コヘレトの言葉を用いて神の言葉を学んでいきたいと思います。

1.人生の空しさを悟る理由(コヘレト11∼316∼18

コヘレトの言葉は、イスラエルの第3代の王、ソロモンによって書かれた書物です。コヘレトの言葉の主題は、「人生はむなしい」ということです。ソロモンは、最初の12節から「なんというむなしさ、なんというむなしさ、すべてはむなしい。」とむなさい人生のことを嘆いています。私たちはここで、人生のむなしさを話しているソロモンに注目していきたいのです。今、人生がむなしいと話しているソロモンはどんな人ですか?ソロモンは、一般的な学校の歴史にも出てくるぐらい有名な人物です。何で有名ですか?知恵の人として有名ですね。

旧約聖書、列王記上1023節と24節では、「ソロモン王は世界中の王の中で最も大いなる富と知恵を有し、全世界の人々が、神がソロモンの心にお授けになった知恵を聞くために、彼に拝謁を求めた。」と書いてあります。ソロモン王は、ただ賢い人ではなく、全能の神さまからいただいた知恵によって、全世界の人々から憧れていました。そして、ソロモン王は、全世界のどの王よりもたくさんの富を持っていたお金持ちの王でした。それだけではなく、ソロモン王には、1000人の王妃と側室がいました。その中で生まれてきた多くの子ども達もいたでしょう。ソロモン王は、その時代、全世界の権威と名誉、美しい妻たちとたくさんの子孫まで、そして、神さまからいただいた知恵まで持っていました。ソロモン王は、人間として少しも欠けたことがない人間でした。しかし、世の中から得られるすべてのものを手にしたソロモンの老年は、人生のむなしさを話しています。なぜ、ソロモンは人生がむなしいと話しているでしょう。

ソロモンは16節の後半でこのように言っています。「わたしの心は知恵と知識を深く見極めたが、熱心に求めて知ったことは、結局、知恵も知識も狂気であり愚かであるにすぎないということだ。これも風を追うようなことだと悟った。」全世界の人々がソロモンの知恵を聞きたくて、集まってきている中、神さま次に人間にとって一番の知恵と知識を持っていたソロモンの心には、最高の知恵の結局は、狂気であり愚かであるにすぎないと。太陽の下にある人間の最高の地位は、ただむなしいだけです。それは、手に入れられない風を追うようなことです。なぜなら、人間はそのようなものによって幸せを感じるように造られていないからです。

2.人間の心を満足できるのは、神しかおりません。(コヘレト14∼7)

人間の心はいつもむなしくて寂しいです。人間は、そのむなしさを満たすために、人々に愛を求めたり、人々の認めを得たいと思ったりします。良い学校や良い職場を持ったら自分の寂しい空しい心を満たされると思っています。たくさんの富を集めて、良い家や良い車などを持っていたら、心が満たされて幸せになると勘違いしています。しかし、皆さん、人間が一番探し求めている世から得られるすべての幸せを持っていた、ソロモンが話しています。「なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい」と。ソロモンは、4節から7節まで、自然のものを例えとして話しながら、太陽と風、川の流れを話しています。太陽は昇り、また沈みます。風は南から向かい北へめぐりめぐって吹いていきます。どの川も、繰り返しその道程を流れていきます。人間が神のように拝んでいる太陽も風も川も、神さまが造られた本能のままに昇り沈み、吹いていき、流れていくだけです。自然は、自分たちがもっと大きな波を、もっと早く流れるために競争してはありません。彼らはただ自分が造られたままに、神さまが与えてくださったままに昇り、吹き、流れていくだけです。人間も同じです。人間が生まれてきた目的は、偉い人になるためではありません。たくさんのお金を稼ぐためでもありません。誰よりも賢い知恵と知識を得るためでもありません。人間は、ただ神の栄光をあらわすために、また神だけで喜んでいくために生まれてきた存在です。それが人間の存在の理由です。だから、世の中にあるもので、まことの幸せを得ることはできません。しばらく幸せのように思えても、その心はすぐ冷めてしまいます。それが人生がむなしいと思う真理の答えです。

質問】自分にとって一番願いたいものは何でしょうか。その願い事が神さまのためなのか、自分のためなのかを考えてみよう。その願い事が叶えられたら本当に幸せになれるか考えてみよう。

祷】存在の理由なる神さま、私たちを憐れんでください。人生の真の意味を理解することができるように私たちを助けてください。ただ主だけで満足することができるように私たちの心にある多くの欲望を主にゆだねていきます。                         イエス·キリストの御名によりお祈りします。アーメン。